47歳が富士ヒルゴールドリングを5年かけてとった話
さて今年最後になるであろう富士ヒル関連の振り返りです。
少々食傷気味かと思いますが、もう少しだけお付き合いください。
今回は私が富士ヒルでゴールドを取るまでの五年間の過程を振り返ります。
集大成と言えます。
ではレッツゴ。
0年目(-2019)
40歳あたりでロードバイクを買った私ですが、子供たちがまだ小さかったということもあり、最初の1年は月に数回カフェライドで走る程度でした。
それでも特に苦労せずに普通に走れていたので、結構速く走れるなと思ってました。
自転車に乗れれば誰でも走れるにもかかわらず、勘違いしていました。
それから数回エンデューロとかヒルクライムレースに出たりしました。
それも旅行を兼ねたもので、勝負するとかそういうレベルではありませんでした。
それはそれはとても楽しかったです。
その後、多くの人が経験することと思いますが、強い人たちとのライドにうっかり参加してしまって、まるでついていけないという経験を数回しました。
仕事上では年齢的にもレイヤー的にも年下の方々に従ってもらう立場でしたが、ことプライベートのライドでは20代30代の若者にまるで歯が立たず、ところどころ待ってもらったり心配してもらったりと、完全介護されるような状況でした。
(初めてのヤビツ峠、前方で走るのが私、タイムは50分くらいだったかな)
それはそれは情けない気持ちになりました。
でも、これはとてもいい経験でした。
ああ、私は別に偉くもすごくもないんだ。
仕事上の役割分担で指揮命令しているだけなんだ。
仕事では時に頼りなく感じる彼らも、プライベートでは私よりすごいんだ。
という当たり前のことを、自転車に教えてもらったのです。
今でもこれは忘れないようにしています。
とはいえ、いつまでも迷惑をかけてるわけにもいかない。
彼らと一緒に走れるくらいにはなりたい。
そう感じてトレーニングを始めるようになりました。
2018年の頭あたりの話です。
ローラー台を入手したのもこのあたりでした。
グロータックのGT-Rollerです。
これは同じショップに通っていた宇賀隆貴選手に譲ってもらったものです。
当時の彼はまだ10代でアマチュアだったと思います。
彼を応援しています。
(宇賀君から譲り受けたGT-Roller)
そんなわけで、ライドでついていけるようになりたい、という目的でインドアでのトレーニングを開始しました。
ほぼ同時にZwiftも始めました。
平日週1回30分から始めて、週2回、1時間、週3回、と徐々にボリュームを増やしていきました。
よくわからず手探りでのスタートでした。
1年目(2019)
2019年の春だったと思います。
富士ヒルに出てみようかな、と思いました。
どうして富士ヒルに興味を持ったかは覚えてません。
知り合いに誘われたんだと思います。
富士山を登る、完走率が高い、完走タイムによってもらえるリングの色が違う、という程度の知識でした。
エントリー前に、ふと過去のリザルトを見ました。
当時私は43歳で、同年代を見ると入賞者はさすがの速さでいずれも65分を切っていました。
すごいな~、と思っただけで、テレビに出るアスリートを見ているようで、現実感はゼロでした。
箱根駅伝の選手を見ているようでした。
まあ自分には関係のない話だな、と思いました。
ゴールドなんて絶対無理と感じていたのです。
そんなのバケモノだ。エリートだ。
ただ、その上の年代である45~49歳のカテゴリを見ると、ゴールドはひとりだけでした。
それを見て、なぜか「ゴールド取ると入賞できるんだ」と思ったのです。
そっか、入賞できるんだ。
入賞か、してみたいな。
ゴールドは絶対無理と思っていたのに、入賞は「したい」とその時なぜか思ったのです。
これまでスポーツで何の実績もなかったということもあり、入賞というものを経験してみたかったのでしょう。
今思えば、私はゴールドを取りたい、というよりも入賞がしたかったのです。
ただまあ、入賞してみたい、ゴールドを取りたい、と思ったところで取れるわけではありません。
そもそも私のような素人が目指せるようなものなのかな?
5年くらいかければ狙えるかな?
5年後は47歳。
まだ成長できるかな?
まあ、まずはこの年がんばってみよう。
それでどうするか決めよう。
というわけでエントリーし、トレーニングを継続しました。
当時の目標はシルバーです。
それまでのヒルクライムの実績では美ヶ原を1時間40分で走っていたので、富士ヒルでは1時間30分を切りたい、できればシルバー、と思っていたのです。
そして初めての富士ヒルの結果は1時間18分42秒。
(当時の愛車)
今思えばかなり上出来の結果でしたが、ライド友達がシルバーを取っていたので「羨ましいな」と強く思いました。
悔しかったんですね。
5年後にゴールドを取れるかどうかは分からないけど、この悔しさは晴らしたい。
一度くらい本気になってみたい。
結果はどうでもいい。
本気を出したい。
そう思ってトレーニングを続行しました。
ゴールドを本気で目指すことにしたのです。
2年目(2019-2020)
ここでいきなりゴールドを目標にはしません。
無理があります。
まずはシルバーです。
ゴールドは5年かけて取ればいいと考えました。
なぜ5年か。
深い意味はありませんでしたが、それくらいかければいけるんじゃないか?
むしろそれ以上は根気が続かないし、どこかで区切りはつけないといけない。
そう思ったのです。
2020年でした。
コロナによって自転車イベントやレースは軒並み中止になり、乗らなくなる人も続出したようでしたが、私は数年後にゴールドを取ると決めていたので、特に気にすることもなくトレーニングを継続しました。
他の人がモチベーションを落としてるなら、彼らを追い抜くチャンスじゃないか!
なんて思っていました。
この年の4月から筧五郎さんのオンラインローラー教室に入会しました。
週一回の高強度インターバル練です。
今でもあの練習ほどキツイものはないと思ってます。
どんなに苦しい状況でも「56練よりマシ」と思えるようになりました。
また筧五郎さんにいろんなことを教わりました。
とてもいいひとです。
大変感謝しています。
彼とは同い年です。
実は、私は彼のことをライバル視しています。
「勝ちたい」と本気で思ってます。
彼にはナイショです。
いつか同じレースで勝ったら、御礼を言いに行きたいと思っています。
その年は秋開催の富士ヒルでした。
結果は1時間14分51秒。
(及第点の結果に安堵する私)
ギリギリのシルバー達成でした。
ほぼ終始3人でのトレインでしたが、脚が合っていてとても気持ちよく回せました。
この年の目標は達成しましたが、自分なりにトレーニングをがんばっていて、もう少し速く走れると思っていたので、少しがっかりしていました。
ここまでやってもこの程度なんだ。
そう思ったのです。
どうしたら強くなれるんだろう。
何をしたらいいんだろう。
うーん。
よく分からないままも、トレーニングは続けました。
年齢も年齢ですので、悩んでる時間がもったいないのです。
考えるよりも前に、とにかく続けよう。
今もそう考えています。
3年目(2020-2021)
Zwiftで知り合った方たちと実走で走るようになりました。
それまで私はインドア中心でした。
子供たちが大きくなって、実走の時間が少しづつ取れるようになっていました。
同じ目標を持った人たちと一緒に走ることでモチベーションはさらに上がりました。
彼らはとても強くて、それに引っ張られるようにして自分も強くなれると思いました。
ものすごく楽しかったです。
今も彼らと走るのが一番楽しいです。
この年の試走では、彼らと一緒に走って(ツキイチでしたが)料金所スタートで68分を出せました。
70分を切ったのは初めてでした。
56練も続けていて、仲間も増えて、試走もベストだ。
これは期待できるぞ。
目標は70分切り、いやワンチャンゴールドもあるぞ!
そうして迎えた富士ヒル。
結果は72分59秒。
(呆然と五合目に立ちすくむ私)
トレインからは一合目あたりで早々に千切れ、試走よりも遅いという惨憺たる結果でした。
レース内容もひどくて、落ち込みました。
いや、結果や内容というよりは「ワンチャン」とか考えていた自分があまりにも愚かだったことに気づかされて、ショックだったのです。
今振り返っても、当時の私にワンチャンはありませんでした。
このタイムが妥当でしょう。
よくても70分あたりです。
強い人たちと走ることが増えて、きついトレーニングを続けてるだけで自分も速くなったと勘違いしていたのです。
ひどい勘違いです。
その事実に気づかされて、大きなショックを受けたのです。
ああ、私は何も考えてなかった。
何も考えずに走っていただけだ。
これでは私は強くならない。
他の人のマネをしているだけではダメだ。
すべてを変えよう。
自分で考えよう。
必ずゴールドを取ってやる。
ここが私のターニングポイントでした。
4年目(2021-2022)
筧五郎さんのローラー教室をやめました。
イヤになったわけではなく、前述のように自分で考えようと決めたからです。
それまで私は56練に参加していれば勝手に強くなると思っていたのです。
甘えていたのです。
自分には何が足りないのか。
強い人たちとは何が違うのか。
そういうことを考えるようになりました。
まず練習ボリュームを増やすようにしました。
強い人は軒並み乗っています。
乗らなくても強くなる人もいるとは思いますが、ほとんどの強い人は圧倒的に乗っています。
レストなしで続けました。
家族イベント等でやむを得ない日以外は、なにがなんでも乗るようにしました。
ボリュームを稼ぐためにレストなんて取ってられないと思ったのです。
休んだほうがいいんじゃない?とよく心配してもらいましたが、やってみないとわからないでしょ?と強気で続けました。
(後述しますが、今の私はレスト推奨派です)
また峠のTTに取り組むようにしました。
目標が実走のレースである以上、峠のタイムを重視すべきだと考えたのです。
このあたりからFTPを意識しなくなりました。
FTPはいくつでもいいのです。
スバルラインを65分未満で走ることができるのなら、なんだっていいのですから。
そして富士ヒル以外のヒルクライムレースに出るようにしました。
実戦で経験を得て、レースにうまくなろうと思ったのです。
また、ローラーでの練習時にもレースを想定するようにしました。
低強度であろうと高強度であろうと、常にレースを想定します。
キツイときは前年の富士ヒルで千切れたところや、ゴールまで泣きそうになりながら登ったことを思い出すようにしました。
何のためにこのメニューをこなしているのか、というのを意識するようにしました。
2022年のハルヒルでは年代別入賞することができました。
(群馬テレビに取材され、100点満点の回答をする私(右端))
ヒルクライムで初めての入賞です。
それも大きな大会です。
多分に運もありましたが、強くなりつつあるというのを第三者に認定されたようで、とても自信がつきました。
そして2022年の富士ヒル。
試走は料金所スタートで66分台。
狙えるといえるタイムです。
しかし結果は65分39秒。
(偶発的に最高の四人トレインを形成して挑んだ2022富士ヒル)
わずか40秒でゴールドを逃しました。
悔しくはありましたが、初めて手ごたえを感じることができました。
強くなってる、とある意味本当に実感できた瞬間でした。
この一年の自分なりのトレーニングは間違ったなかったんだ、と思えてとても嬉しかったです。
5年目(2022-2023)
当初考えていた5か年計画の最終年です。
2022年の富士ヒル後に調子をガタっと落としてしまったので、それまでの習慣を見直して週一回のレストを必須にするようにしました。
成功体験に固執しすぎず、常に変化し続けることが大事です。
レスト不要、そんなふうに考えていた時期が私にもありました…というやつです。
トレーニングメニューは基本的に前年を踏襲しました。
前年からさらに食事に気を配るようにしました。
私のトレーニングメニューは特に変わったものではありません。
他人と差をつけられるのはトレーニング以外にあると考えています。
それが食事です。
身体はトレーニングによってダメージを受け、食事による栄養補給と、十分な休息で超回復するのです。
今の私はトレーニングよりも食事のほうが大事だと考えています。
しかしあくまで憶測ですが、人は食事にそこまで注目していません。
トレーニングメニューに注目する人は多いのですが、食事に注目する人はそれほど多くないといった印象を私は持っています。
その時々に脚光を浴びる「食材」や「取り方」に注目することはあっても、長期的スパンで注目されることがないように思います。
トレーニングと同じで、一度や二度の食材摂取でどうこうなることはありません。
長期的スパンで考える必要があります。
ここで他人と差をつけようと私は考えています。
(お弁当botと化したインスタアカウント)
そして、この春の峠TTや試走では、幸運にもとんでもなく強い人たちと走る機会を得ました。
今年の富士ヒル結果の一番の要因はこれだと思っています。
ここまでの数年に及ぶトレーニングの積み重ねで、私は潜在的には強くなっていたと思います。
急に強くなることなんてありません。
芽が出る前の、土の中で成長している植物のような状態です。
それが彼らとの邂逅で身体と脳に強い衝撃が入り、一気に目が覚めました。
この人たちについていくには、寝ている場合じゃねえ!というやつです。
そんなふうに自分を分析しています。
そして試走では望外のタイムを出すことができました。
あ、今年は取れるな、と確信しました。
それから悩みに悩んで目標をゴールドから年別優勝に切り替えました。
先のブログにも書きましたが、ゴールドを取った!という達成感は試走の時点で十分得られていたので、本番はより厳しい戦いを選択したのです。
そして結果は62分47秒。
年代別では3位でした。
以上のように、5か年計画で無事目標を達成できました。
ゴールドが取れたのはこれらすべてがあったからと言えます。
特に重要だったのは、悩んでも落ち込んでも調子を落としても、自分を信じ続けたことです。
トレーニングと休息のローテーションをひたすらを続けたことです。
そして考え続けたことです。
変わり続けたことです。
続けていれば誰でも取れる、とは言いませんし、やればできるとも言いません。
届かない人のほうが多いのですから。
それでもゴールドリングを取った人はすべからく続けている人です。
これは間違いないと思うのです。