無感情なゴールドリングと、目標設定に悩んだこと
今回の富士ヒルで、私の公式タイムは62:47、年代別では3位でした。
リザルト表を見ると2位とは1秒差だったようですが、2位も3位も同じです。
年代別優勝を狙っていた私にとっては、1位か、それ以外でした。
ほんの少し前までゴールドリングを取ることを悲願にしていましたが、すっかり変わってしまいました。
こんなことを書くと反感を買うかもしれませんが、ゴールドを取ったことに特別な感情はありません。
おめでとうと祝っていただいて大変ありがたいと感謝する反面、複雑な気持ちでした。
なぜなら、今回の私はゴールドリングが取れることは分かっていたからです。
試走の時点で分かってしまったのです。
「あ、取れる」と確信していました。
つまりゴールドについては、試走の時点で十分すぎる取得感を得られていたのです。
ただ、このまま65分未満を目標にしてレース本番を走るとなると、試走をなぞるだけになります。
それはそれでいいとは思います。
確認作業も大事です。
ですが、私は物足りなさを感じてました。
この調子の良さならもっと上を目指すべきじゃないのか。
生きるか死ぬかの、ヒリヒリするような走りがしたい。
しかし、それはゴールドトレインを組もうと話をしていた人たちを裏切るようなことにならないか。
傲慢に聞こえるかもしれませんが、一緒に走ったらおそらくペースが合わないだろうと、そう感じていました。
実力とかではなく、気持ちの問題です。調子の問題です。
私はいわゆる絶好調状態だったのです。
図に乗ってるとか、マウントを取ってるとかそういうことでもなく、ただただ冷静にそう感じて、おそらくそれは間違いなくて、どうせならみんな同じベストコンディションだったらいいのに、なんで調子を落としてんですか、なんでちゃんとレスト取らなかったんですか、なんで本気出さないんですか、あんなに言ったのに。
一緒に走りたかったのに。
そういうことをずっと考えていました。
、、、やはり傲慢になっていたのかもしれません。
レース後の今だから、こんなことを言えるのです。
それまで私は周りに「一緒にゴールド取りましょうね!」と話していましたが、ある時から「ついてきてくださいね」と冗談めかして言うようになりました。
予防線を張っていたのです。
実にいやらしいですね!
ただ、より上を目指すとなると大きなリスクがあります。
戦い敗れて轟沈して、65分を切れない可能性は十分にあります。
そして年齢による衰えがやってきて、来年以降はずるずるとゴールド取れずじまいということも十分にありえます。
今年はまずゴールドに専念して、来年勝負すればいいじゃないか。
いや、そんな悠長なことしている年齢か。
自分の限界を知りたいんじゃないのか。
本気を出して燃え尽きたいんじゃないのか。
、、、かなり悩んだ末に、真っ白な灰になることを選びました。
そして年別優勝を狙っていることを公言するようにしました。
逃げ道をなくしたかったのです。
周りの人たちは「こいつ突然何言いだしてんだ?」とドン引きしたと思います。
でも私なりにずっと考えていたことなんです。
そして結果は完敗したわけですが、こういった経緯もあって気分はとてもスッキリしているわけです。
真っ白な灰になれました。
大変満足しています。
最初から知り合いとトレインを組んで65分未満を目指してゴールしていたら、きっとこの上なく楽しかったでしょう。
極上の一時間を過ごせたはずです。
実際にそんな最高なトレインでゴールした人もいて、話を聞くと羨ましくてたまらない気持ちになります。
ただ、その極上の時間を捨ててまで、地獄のような1時間の中で本気を出したことは、きっと今後の糧になると思います。
糧にしないと、いけないのです。