年齢による衰えへの恐怖みたいなもの
私は現在47歳です。
これまで一時的に調子を崩すことはあれど、峠のタイムやレース結果を向上させることができました。
40過ぎてからトレーニングを始めたということもありますが、これまでは右肩上がりで成長している、と言っていいと思います。
なんなら運動習慣のなかった20代の頃より、今の方が体力はあるでしょう。
しかしいつかは成長限界点がやってきます。
年齢は数字でしかない、と言うこともありますが、現実はそうもいきません。
人はいつか死ぬのですから、衰えも間違いなくやってきます。
年齢的にも、それはごくごく近いことでしょう。
それは今まさに現在進行形かもしれませんし、もっても来年か、再来年か、数年後か。
おそらくそんなところだと思っています。
そして今、私は調子が落ちています。
疲労の蓄積によるものだとは思いますが、もしかするとこれは年齢による衰えかも、、、と思わなくもありません。
いよいよ来てしまったか?という恐怖は、毎度脳裏をよぎります。
そしてそれを否定するために、レストを入れて回復し、再度トレーニングをして峠をアタックして、死に物狂いで結果を出すことで安心を得るのです。
ああ、まだ大丈夫だった。
しかし、否定できない衰えを自覚してしまったとき、私は今と同じようなモチベーションでいられるでしょうか。
もうどうやっても過去の自分に勝てないのだから、これ以上は無理だ、もうやめよう。
というふうになってしまわないか。
そんな不安がつきまといます。
ただまあ同時に、そんなに悲観することでもないか、とも思っています。
私の全盛期は今です。
あるいはこの先2~3年です。
これはおそらく間違いないでしょう。
私は自分史上最強、最速となるためにトレーニングをしています。
数年後に衰えが来ることは確定していますので、つまりはあとたった数年頑張れば、間違いなく目標を達成することができるのです。
あと数年だけでいいんです。
もうゴールが見えているのです。
そこまで走り切ればいいんです。
もっと若いとき、20代や30代からこのようなことをしていたら、私はきっと「いったいいつまで頑張れば最強最速になれるんだ?」という考えに陥っていたことでしょう。
飽きやすい私はそうなっていたと思います。
また、自分より成長の早い人を見て過剰に羨んだり妬んだりもしたでしょう。
残り時間が少ないからこそ、自分自身の成長にフォーカスできるのです。
自分の可能性を疑ったり、他人をうらやんだりしている暇があったら練習をするのです。
多少トレーニング方法が間違っていてもいいのです。
病気やケガをしないのなら、オーバーワークでもいいのです。
少々はサボってしまってもいいのです。
人と違っていてもいいのです。
自分史上最強、最速になれるのなら、なんだっていいのです。
人はいずれ衰えます。
それは致し方ない事です。
ただ人生の最終盤で「やれるだけのことはやった、あの時点は間違いなく俺の最高到達点だ」と思いたいのです。